ホアキン・フェニックスの半生はどのようなものなのでしょうか?
あまりに有名すぎる兄を持つ俳優。
いかにして兄をも超える名声を世界に轟かすことになったのか…。
ホアキンの生い立ちから個性的すぎる俳優人生、スターダムにのし上がるまでの半生を見ていきましょう。
兄・リヴァーの生涯をまとめた記事もあります。
気になる方はぜひどうぞ!
ホアキン・フェニックスの半生①伝説的俳優の弟として生まれる
1974年10月28日、ホアキンはリヴァー・フェニックスを長男に持つ家庭に生まれました。
両親は麻薬中毒者で、ヒッピーコミューン(ヒッピーたちの集まる集落)を転々としていました。
カルト教団に傾倒すると、ベネズエラなどの南アメリカに生活拠点を移します。
ホアキンはそこで生まれました。
その教団は、性的交渉を神に捧げるという過激な思想を持つ者たちがおり、兄リヴァーは幼少時より壮絶な虐待を受けていたとカミングアウトしています。
1978年に両親は教団から離れロサンゼルスに住居をうつすと、不死鳥伝説にあやかり、現在の姓『フェニックス』に改姓。
兄・リヴァーや妹は芸能界で活動することになりますが、ホアキンは両親とともに南アメリカへ旅に出ていました。
ホアキン・フェニックスの半生②兄と同じ俳優の道を歩み始める
ホアキンは8歳頃、兄・リヴァーと同じく俳優への道を進むことになります。
芸名を『リーフ・フェニックス』とし、兄が出演するテレビドラマ『Seven Brides for Seven Brothers』にて初出演。
翌1986年の12歳の時に『スペースキャンプ』にて映画デビューを果たします。
翌年には『ラスキーズ』で初主演を務めるまでに。
人種や民族を超えた愛を描く
しかし1989年の15歳の時に、『リーフ・フェニックス』としての活動を終わりにします。
後にその理由を、
同じような役しか来ないから
と語っています。
個性派俳優への道はここから片鱗があったのですね。
ホアキン・フェニックスの半生③兄の死に立ち合い、苦悩することに
その2年後の17歳の時に、俳優業の名前を本名の『ホアキン・フェニックス』に変え活動を再開。
しかし、19歳の時に運命が一変する出来事が起こります。
兄にして世界的スター俳優のリヴァー・フェニックスの死です。
兄が体調急変の際に救急車を呼んだのはホアキンでした。
リヴァーの死を間もなくして、マスコミからの執拗な取材を受けることになってしまいます。
悲痛な様子で救急車を呼ぶホアキンの通話音声までセンセーショナルに報道され、ホアキンは芸能界を見限ります。
ホアキン・フェニックスの半生④徐々に、着実にスターダムの座へ
兄の死の翌年、まだ一連の傷は癒えないホアキンでしたが、友人の勧めにより俳優業を再開します。
1997年には『秘密の絆』で主演も果たし、
2000年には『グラディエーター』でアカデミー賞助演男優賞にノミネートされるまでに。
その個性派俳優としての実力を世に知らしめていきます。
そして2006年『ウォーク・ザ・ライン/君に続く道』で、ゴールデングローブ賞主演賞・グラミー賞を同時受賞するのです。
『ウォーク・ザ・ライン/君に続く道』ではカントリーミュージシャンのジョニー・キャッシュ役で、見事な歌声を披露しました。
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兄・リヴァーをも超えんとする俳優の名声を得ようとしていたホアキンですが…。
ホアキン・フェニックスの半生⑤突然歌手へ転身、実は…?
俳優としてあまりに順調な道を歩んでいたはずのホアキンは、突如として俳優業を廃業すると発表。
ラッパーになる。私が音楽の道へ進むのはおかしいか?
その後ラッパーとして音楽活動を2年続けることになります。
その間のホアキンの度重なる奇行に、ファンも芸能界も心配しますが…。
実はこれ、壮大なモキュメンタリー映画の仕掛けだったんです。
モキュメンタリーとは…
フェイクをドキュメンタリーのように真実に見せかけて撮影・演出した映像作品
妹の夫で映画監督のケイシー・アフレックと共謀し、私財を3億円も投じてこの作品『容疑者ホアキン・フェニックス』を作ったホアキン。
作品自体の評判は低いとする声も多いですが、何が真実で何がフェイクかわからなくなるホアキンの演技力に、ただただ驚かされます。
ちなみに、『容疑者ホアキン・フェニックス』が配信されている媒体は実はあまりないんです。
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ホアキン・フェニックスの半生⑥『ジョーカー』でついにアカデミー賞
ホアキンは2011年に通常の俳優業に完全復帰。
同年の『ザ・マスター』では、ヴェネツィア国際音楽祭で最優秀男優賞を獲得。
2017年の『ビューティフル・デイ』では、カンヌ国際映画祭の男優賞を受賞しました。
残す賞は、ノミネートだけされ続けてきたアカデミー主演男優賞ですが…。
2019年、あの問題作にして超傑作『ジョーカー』の『アーサー・フレック』役を怪演。
ついにアカデミー主演男優賞を獲得するのです。
それどころか全ての映画賞を総なめし、社会現象まで巻き起こしたホアキン。
ついに俳優の高みまで登り詰めました。
ホアキンの俳優人生は、兄・リヴァーの遺志でもある
ホアキンは、『ジョーカー』でトロント映画国際映画祭のトリビュート・アクター・アワードを受賞した際に、こんなスピーチをしています。
私が15、16歳のある日、リヴァーが『レイジング・ブル』のVHSを持って仕事から帰ってきた。
兄は私にその映画を見せ、翌朝も私を起こしてもう一度見せた。
『お前は演技をやるんだ。これがお前のやることなんだよ』と、
私の意志を確認せずに俳優として生きていけと言われたんだ。
演技が私に素晴らしい人生を与えたから、兄には感謝しているよ。
兄・リヴァーが示したホアキンの俳優人生。
リヴァーは、ホアキンの類まれなる演技の才能を見抜いていたのかもしれません。
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